
昔日の常磐ハワイアンセンター時代。
その日々が、スパリゾートハワイアンズとフラガールの原点です。
福島県いわき市。かつて、そこには石炭の埋蔵量、本州一と謳われた常磐炭田があった。なかでも常磐炭礦は、戦前から首都圏の工業と生活を支えた。昭和30年代、石炭から石油へ需要が移ると、競争力を失った炭鉱は次々に閉山。このままでは、大勢の従業員やその家族が路頭に迷う。当時の常磐炭礦副社長・中村豊は、大きな賭けに出た。
「東北にハワイを!」
石炭採掘時には、大きな悩みのタネだった溢れ出る温泉を資源に、いわきを観光地に。まさに逆転の発想だった。逆転の発想のなかで中村が発案したのが、炭鉱の娘たちによるポリネシアンショーであり、そのダンサーを養成するための学校として設立したのが常磐音楽舞踊学院であった。昭和41年、常磐ハワイアンセンターがオープン。現在のスパリゾートハワイアンズである。
※写真提供:常磐興産株式会社 スパリゾートハワイアンズ